2022年2月2日 --- 蔓歌ろこ
#4 ざらざら、がしゃがしゃ
カシャン。
最近の趣味は、薬が飲み終わった空っぽのシートを適当な箱の中に貯めることだ。なぜこれをしているのかは分からない。
ただ、「わたしって、こんなに薬物を摂取していないと生きていられないんだ」と思う。それだけ。
ある種の自傷行為かもしれない。
きっと、やめた方がいい。
最近、診断書が出た。双極性障害2型と言われた。世間一般で言う、躁鬱ってやつだ。今までの薬が全然合わなかったことと、鬱の症状が軽い時期があったことの説明がこれでようやくついた。まだ2型であるから、若干マシなんだそう。
双極性障害は一般的に、1型と2型でわけられるという。1型は典型的な躁鬱。躁の時と鬱の時の波がはっきりと分かれているタイプ。こちらは症状が分かりやすいので発見されやすい。しかし、躁の時期に無理な買い物をしてしまったり、お金関係で人間関係を壊してしまったり、元気ゆえに勢い余って自死する人が多い。これが1型が危険と言われる所以である。
2型は、躁の波が小さいタイプ。鬱の時はしっかり鬱になるが、2型の軽躁状態は「いつもみたいに死にたくならないな」程度だ。もちろん症状は人によるので、これは私の場合。2型は軽躁状態が分かりづらいため、基本的に最初は鬱と診断がされる。されてから軽躁状態に入ったとしても、薬が効いてきたのかもしれないと言われ流される。なので発見が遅れるのだ。私も、まさにそうだった。
鬱と躁鬱では、実は効く薬が違う。だから今回発見できた。鬱の症状が全く緩和されず、それなのに突然良くなる期間があることから躁鬱の疑いが出た。そしてそれ用の薬を飲んだら、見事に緩和された。
しかし、もう遅いのだ。今更緩和されたからと言ってなんなんだ。もう、私は決めた。躁鬱の診断を受けた瞬間から、すべてを諦めてしまった。躁鬱は、完治しない病気だ。薬でどうにか寛解状態を目指すしかない。私はもう、そんなの、耐えられない。こんな苦痛を何度も味わうことが確定している未来なんて、見たくない。見ていられない。いつか壊れてしまうだろう。なら、その「いつ」は「今」来たって変わらない。
今日の就寝前の薬を飲む。私は朝食後に1錠、昼食後に1錠、夕食後に4錠、就寝前に1錠薬を飲まなければならない。少し前まで、病院なんかとは無縁の生活をしていたのが信じられない。人とはこんな簡単に壊れてしまうものか。小さな子どもが無邪気に蟻を潰すように、誰かが私のことを潰してしまったみたいだ。それだけで、たったそれだけで、簡単に壊れる。しかもその力は中途半端で、一発で死ぬことも許されない。潰れた下半身と折れた足を携え、その激痛に耐えながら、息をすることしか出来ない。タチの悪い子どもがいたものだ。
唯一飲んでいない、睡眠薬の入ったポーチを開く。ざらざら、がしゃがしゃ。かなり溜まってきた。
わたしの家の近くのは、1本の桜の大樹が咲き誇る丘がある。あの何もかも変わってしまった日のように、あそこの桜が咲き誇った日。私も花弁と一緒に連れ去ってもらうつもりだ。この薬たちをバキバキに割って、青い粉となったそれを一気に水で流し込む。私の髪もよく着るワンピースもピンクが多いから、きっと彼らは私を桜だと思い込んで、一緒に飛ぼうと言ってくれるはず。
そんな妄想をしたら、少し心が楽になった。