2023年7月28日 --- 露木ユウガ
#8 逃げられなくなった日
「僕は、露木ユウガです。これからよろしくね、セレネくん」
「…………」
研究所の一室。RGB255.255.255だけが広がる異様な部屋で最初にされた会話はこれだった。厳密に言うと会話ではないが、彼は人工的に染められた虹色の虹彩をちらりとこちらに向けてくれたので、一応コミュニケーションは成り立ったのではないかと思う。そう思いたい。
――
その日も平凡な一日。ちょっとぽやっとしているらしい僕は、今日も同期に軽口を叩かれてはそれなりに返して、研究に勤しむ。それだけの一日になるはずだった。
お昼あたりに上司から呼び出しをくらい、「僕のことだし、なんかヘマしちゃったかな……」なんかと内心ビクビクしながら別室に連れていかれると、予想とはだいぶ外れたことを頼まれた。
「露木君には、ある被検体の観察、実験の担当になって欲しい」
「ああ、あの最近連れてこられた……って、えっ、僕がですか?」
「そうだ」
「えっと……僕が主導で?」
「そういうことになる」
「それは大変光栄なことなんですが、理由を伺ったりしても~……?」
「君は少しボケっとしているところはあるが、とても人あたりがいいし穏やかだからね。今回の被検体は人に対して異様に怯えているようだから、物腰の柔らかい君ならと思ってのことなんだ」
「なる、ほど……」
「どうだ。無理にとは言わないが、これでいい結果を出せたら君にもメリットがあるし、何より被検体のデータが取れれば我々の研究も大幅に進められるだろう。うちの研究員は堅物ばかりで、こういったことへの適正のある人間はなかなかいない。君にかかっているんだが……どうだろうか」
僕は、ただの一介の研究員だ。歳は確かにアラサーだけれど、この研究所の中ではまだ若手の方で、性格も相まってか仕事で頼られることなんてなかなかない。それに、これは昇進のチャンスかもしれない。30手前でそろそろ貯金ももうちょっと増やしたいし……なんてかなり俗世的なことを考えながら、口を開く。
「……そこまで言われるほどの力が僕にあるとは到底思えませんが……でも、やってみようと、思います」
「本当か、助かるよ。ありがとう」
じゃあ……と上司は言葉を続けた。「まだ君には知らされていない研究がある」、と。
――
「……つまり、私たちは、不老不死を叶えるため、人工的に作った生物との共存を果たそうとしているんだ。彼らに寄生されれば、死後少し経ってからの人間でも、不死を叶えられる。ひとつ命が増えたようなものだ。もちろん、寄生させるタイミングで年齢だって止められる。そんな、夢のような寄生生物を作る研究を、私たちは秘密裏に行なっている」
「……ほう」
あまりの情報量にぶん殴られてしまったためか、阿呆みたいな相槌が出てしまった。それってこう、大丈夫な事なんだろうか。倫理観的に。というか、法律とか、なんかそういうのとか。というかなんか、すごくファンタジーだ。
今まで自分達が表でしてきた研究は、確かにアンチエイジング的な効果を期待出来る細胞や物質に関わるものだったが、秘密裏に行われているものは、それを数百倍ファンタジーで、ディストピアで、現実味の無いものだった。
というかそこまで研究が進んでいるのなら、僕たちが今表でやっているそれらなんてもう実現してもいいんじゃないか? 大人の事情ってやつかもしれない。
今までの思考の濁流を全て口に出してしまいたいところだったが、ひとまずはもごもごとし始めた口元を鎮める。
「この研究内容のことは、口外してはならない。もちろん国や複数の企業からは裏で多大な資金援助をしてもらってもいるが、まだ法外な研究だからね」
「……なんだか話が大きすぎて、僕なんかには自分事に思えない話だなあ……。 それで、その最初の寄生に成功した貴重な被検体の面倒を、僕が?」
「そういうことだ。かなり責任重大になってしまうが……相応の手当も受けられる。君には先程言った通り適正があるのだから、悪い話ではないだろう?」
「それは……そうですけどねえ……」
うちの研究所がそんな非人道的な研究をしていただとか、なんか国も秘密裏に関わってるとか、知らなかったことだらけだし、やはりどこか自分のセーフティーラインにひっかかる。不老不死は確かに夢のような話だけれど、それは夢物語だから良いのではないのだろうか。……現実ならば、人間きっと、終わりを欲する時だってあるだろう。
「……今更引き返せませんね。こんな話聞いちゃったら」
「そうだな。じゃあ、早速被検体に会ってもらおう。一応、名前だけは聞けた。弦音セレネと言うらしい」
「弦音、セレネ……男の子、ですか? 綺麗な名前ですね」
「そうだな。せら嬢が話した時には可愛いものが好きなようで、本人もそれらしい顔立ちだよ」
「そうなんですねえ……」
言いながら、上司はある壁を手でずいっと押し当てる。何をしだしたかと思えばそこは成人男性2人ほどが入れるくらいの回転扉だったらしい。これ、本当に自分が入っていい領域なんだろうか。
「ようこそ。蔓歌研究所および、ガーベの研究所へ」
「ガーベ……?」
「ガラクタって意味さ。私たちが研究しているものは実現にこそ近づいているものの、まだ成していないからね。結果がなけりゃ、いくらこねくり回してもガラクタには代わりない。そういう、前所長の思想の元でこの研究をする場所はこう呼ばれている」
「……僕もガラクタ作りの仲間入りってことですねえ」
「ははは、珍しく鋭いな。そういうことになるよ。ただ、ここに入った時点で昇給は決まったからね、おめでとう」
今更昇給で喜べるほどの胆力は持ち合わせていない。
人感センサーによってパチパチと付けられる白のLEDと、白い廊下に2人分の足音だけがやけに響く。細長い廊下を歩いている間、「引っ越したての何も無い部屋みたいだな」なんて呑気なことを思えたので、やはり僕はちょっとぽやっとしているのかもしれない。今までは他称だったけれど、これからは自称していってやろうかな。
途中いくつかあった研究室を通り過ぎ、最奥にあった扉の前に立つ。この扉は生体認証が必要らしく、上司から説明を受け、自らの若葉色の眼球を登録した。
するとウィン、という駆動音とともに、また真っ白な広めの空間へ通される。ここにインクをぶちまけたら気持ちよさそうだ。
数メートル先からは一面ガラス張り。真ん中には白い扉があり、その先には――部屋の隅で縮こまる、ブロンドからピンクへのグラデーションが美しい髪の少年がいた。先程扉が開いた瞬間なにか動いた気がしたのは、彼が驚いて肩を揺らしていたのだろうと思った。
「被検体は、彼だ。見ての通り、縮こまってしまって何も話してくれやしない」
「というか、遠くて話せないですね。この扉の先には?」
「行けるが、今はまだ彼の心のケアの方が優先だ。被検体から寄生される前に起こったこと、寄生されてからの感覚などを聞き出したいから、まずは君と彼の距離を縮めてもらう必要がある」
「なるほど~……」
ガラス張りの壁の先にあるのはベッドと、個室のトイレだろう扉。こんな監獄みたいな部屋を与えられて心を開けだなんて、そもそも無理な話ではないのだろうか。
「せら嬢とはお話されたんでしたよね? ちょっと、僕もせら嬢からの話を聞きたいなと」
「わかった。では予定を開けて頂けるように手配しておくから、まずはちょっと2人で話ができるか試してみてくれ」
それじゃ。 上司は軽く言って、部屋を出ていった。そして、冒頭に至ったというわけだ。
――
彼女は今日も紐の多いアウターを翻しながら研究所を訪れていた。キラキラバチバチの双眸をきょろきょろとさせたかと思うと、こちらを見て花が咲くようにぱあっと笑った。
「あ! 露木ユウガさんで~~、合ってます?」
「せらさん、こんにちは。今回はわざわざありがとうございます」
「ああ、そんな畏まらなくても大丈夫ですよ~! 私子どもですし、気にしないでください」
「あはは、ありがとう……じゃあ、ちょっと場所を変えて話を聞きたいんだけど、大丈夫?」
「はい!」
そういえば私行きたいカフェがあったんですよね~! と言いながら彼女は歩みを進める。そんな人の多いところで大丈夫か? とも思ったが、むしろ人混みがかき消してくれるから! と彼女は明るく言った。
まあ、男の子がどんな様子だったか聞くだけだしな。彼女も境遇上近くに大人が少ないし、色々話を聞いてあげよう。
そう思いながら、彼女の後を追った。
――
そこは水色を基調とした可愛らしいカフェで、全身真っ黒の自分のような男が入るには少々ハードルが高かった。周りには女子高生女子大生にマダムと女性ばかり。幸い、自分はあまり身長が無いので圧迫感は無いだろう。コンプレックスがこんなところで生かされるとは思わなかった。
一通り注文を済ませ、ミルクレープを頬張りながら早速本題に入る。
「それで……セレネくんって、どんな子だった?」
「うーん、それが大人だけを怖がってるわけじゃなかったみたいです。人間全般無理って感じ。でも、私やろこには警戒心薄かったですね。どうやら、可愛いものが好きみたいで」
「ああ、みたいだね」
「そう。私たちと趣味が合うみたいで! 今度会った時はお洋服どうしようか話そうね~って言ったら、ちっちゃく「はいっ……」って言ってくれましたよ」
「なるほど……」
若い子含めても人が苦手なのか。ここに来るまでに一体何をされてきたんだろうか。
しかし、希望も見えてきた。可愛いものが好きなら、とりあえずあのまっさらな空間を可愛いもので埋めつくしてあげよう。まず、ここは自分にとって安心できる場所だよと伝えてあげる必要がある。
「あ、というか次会う約束もしたんだね」
「そうなんです! 博士が許してくれる日、外に出られたらって言ってました」
「……あ~、もしかしたら今、その権限僕にあるかも」
「え、そうなんですか!?」
「そうそう、僕があの子の……お世話係というか。僕主導で担当するようになったんだよ」
そう言うと、彼女は心底安心したように胸をなで下ろした。
「そしたら、私たちとの日程も練りやすいですね! 嬉しい〜~、ユウガさん、話しやすいから助かります。あそこなんか硬い人多いじゃないですか~~……」
「あはは、そうだね。特に研究職の人ってそんな人ばっかりだよ。僕もこんなんだからセレネくんの担当になったわけだし」
「なるほどですね~、確かに、ユウガさんみたいな人だったら心開いてくれるかも」
「そうだったら嬉しいな……あ、そうだ。せっかくなら、僕もそのお洋服を見繕う日、一緒にいてもいいかな? あの子のことも知りたいし、若い女の子のショッピングってちょっと楽しそう」
「え、全然いいですよ~! じゃあろこも誘って、元気だったら4人で行きましょっか!」
彼女の休日とろこ嬢の体調、自分の研究とで日程を擦り合わせる。そういえば、人と遊びに行くなんてことここ最近まともになかった気がする。仕事で精一杯で、ぽやっとしてるからかちょっと落ちこぼれ扱いをされているから、躍起になって頑張ろうとして、の繰り返しだった。仕事とはいえ、良い息抜きになるかもしれない。
「そしたら、丁度1週間後のこの日が行けそうですかね?」
「そうだねえ、そうしよっか。荷物は僕が持つから、いっぱい買って良いからね」
「えっ、良いんですか! そしたら私とろこの分も買っちゃおっかなあ~~っ」
「あはは、腕、足りるかな……」
気がつくと、ミルクレープは無くなり珈琲も空になっていた。
セレネくんはまだ、ベッドの中に篭ったり部屋の端っこで蹲ったりしているばかり。これが少しでも良くなってくれたら、嬉しいなと思う。