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2024年2月20日 --- アイビー/蔓歌ろこ 
#9 ​人生ではじめて見たもの

 人生で初めて見たものを、あたしは覚えている。
やけに青白くて不健康そうな生脚、白とピンクが印象的なフリフリの布、それと同じ色をした長い髪は床にべったりと垂れ下がっている。小さな口はきゅっと噤まれていて、濃いクマを携えた光のない2つの紫が私を見ていた。


 この少女が、私に身体を与えてくれた生みの親。そう直感でわかった。
彼女は、目を開いた私を見て緊張したように口を開く。その声は若干震えていた。

「……おは、よう」
「おはよ! 可愛いね、その服っ」
「うん、正常に応答ができてる。第一声が他人に対しての可愛いねなのはどうかと思うけど」
「思ったから言っただけだもん! それに、君はあたしの……ママ? でしょ? ちょっとちがうかもだけど」
「ひよこの刷り込みと同じ原理? まあ、大体あってるよ。……元気だね、あなたは」
「えっ、そう? あたしはあたしのま〜んま、振舞ってるだけ!」

 覇気の無い声。だけども、先程の緊張はどこかに消えたように興味津々にこちらに問うてくる。知的好奇心を刺激された顔をしている。

「……それは、ただの寄生虫だった時からそんな人格だったの?」
「覚えてないっ! 今この瞬間から、あたしの人生ははじまったのだあ!」
「そ、そっか……」

 思った通りのことをそのまま言っただけなのだが、どうやら困惑させてしまったようだ。でも実際そうだもん。これまではぬるま湯の中を揺蕩うような感覚でいたけれど、今はそこから脱して全身を襲う気化熱に震えて目が冴えるような、そんな感覚でいた。
 目の前の少女は少しの間目を泳がせながら黙りこくっていたが、気がついたというように言葉を続ける。

「……えっと、じゃあ、名前。つけてあげなきゃね。どんなのがいい?」
「かわいいの!」
「え……むずかしい。ちょっと待ってて」

 こくりと黙り込んだ彼女を横目に、自分の身体の方へ目をやる。身長は、目の前の少女と変わりないくらい。服は適当なジャージのようなものを着せられていて、自らの視界の両端にはピンクと黄色があった。これが、多分自分の髪。あ、ちょっとだけ水色もある。可愛い色じゃん。


 薄暗い部屋の中には、様々な機器から放たれる淡い光とデスク上のライトしか光源がなかった。無機質な白と白と白で囲まれたここは、いわゆる病院の類でないだろう。何らかの研究施設だろうか。


 というか、あたしってなんだ? 自分が寄生虫であったことはわかる。なんで今は人間の体になっている? いつ寄生したっけ。寄生したのなら、この肉体は誰? ……あれ? 誰だ? ほんとに知らないぞ。 あれ? あたしって人間に寄生して、そしたらその人そのものみたいになるんじゃないの? あれ? 誰? 寄生失敗した? というか自分が寄生虫であるという自認があることすらおかしいはず。どうしてあたしは自分が寄生虫であると知っている?
 一人悶々としていると、静かに熟考していた少女が口を開く。

「……アイビー」
「ほょ?」
「アイビー。名前だよ。好きな花なんだ。紫やピンク色の、可愛い花がつくの。……どう? 気に入らないなら、考え直す」
「アイビー……アイビーちゃん! 可愛いじゃ〜ん! やったやった! ありがとお! ……えっと、おかあさん?」
「や、やめて……蔓歌ろこ。ろこで良いよ……お母さんは、やだ」
「わかったあ! ろこね! ……って〜、そうそう。あたしって、人間に寄生するんだよね? 名付けってどういうこと?」
「理解が早いね、助かるよ。じゃあ、説明する。大人しく聞いてて」

 そして小さな口から語られたのは、あたしはろこの手によって作られた人工の身体に入れられたこと。人格の無いものに寄生させたら新たな人格が発現するのか、という実験をしていたこと。そしてそれは、恐らく成功であろうことだった。ここはろこの実家である不老不死の研究をしている施設で、秘密裏に行なっていた実験らしい。

「……ろこ、まだ子どもだよね? そんなことできるの?」
「できるよ。……だって、私も虫だから。アイビーと同じ……いや、種が違うけど。あなたと同じように、私も人間を優に超える処理能力が、あるから……純人間のこどもとは、ちがう」
「ふうん。じゃあアイビーちゃんと同じなんだ!」
「まあ、アイビーは最近の研究で進化した株だから、ちょっと違うよ。私より、高性能」
「えへっ、そうなんだあ〜! アイビーちゃんのがあ、新しくてつよいんだ!」
「そうなるね……私より、よっぽど」
「ざあ〜こ♡」
「うん」
「…………」

 冗談めかしく煽ったつもりだったが、全くもって手応えがない。こちらの言葉を素直に受け取り複雑な表情をするろこを見ても、面白いと思えなかった。そんな顔をさせたくて言ったんじゃない。

「ちょっとお、そこはもっと怒ったりとかするとこじゃ〜ん!」
「いや……でも、事実だから。私は、出来損ないで、ただ惰性で息をしてるだけで、あなたを暇つぶしで造ってしまうくらいの、考え無しだから」
「……へえ〜」

 ろこの呼吸が乱れはじめる。瞳孔がきゅっと小さくなって、口角が歪みながら釣り上げられる。目線が合わない。気が動転している……んだと、思う。

「ま、まさか、……まさかっ、ほんとに成功するなんて、思ってなかった……。ただ暇だから、興味で……自分の、ルメニアに対する認識が合っているか確かめたくてはじめただけで。……どうしよう……」

 新たな命を生み出してしまった。それは、気軽に行なって良い行為ではない。……というのが、一般的な倫理観だろう。それをただの"暇つぶし"で成してしまったという事実は、彼女の小さな身体には耐え難いほどの重責らしい。この様子を見るに。


 しかし、あたしにとってはそんなことどうでもいい。だってあたしはこうして肉体を手に入れられたから。……本当は自分の力で寄生したかったけど。
でもあたし、こうしてろことお喋りできて、こんなに楽しいのに。嬉しいのに! 
そんな暗い顔、しないでほしかった。

「もお〜、全然何言ってるかわかんない! 大人たちと同じかそれよりもすごい研究を成功させて、こ〜んなに可愛いアイビーちゃんを造っちゃったんだよ? もっと誇ってよお〜!」
「…………」
「アイビーちゃんは、ろこと会えて嬉しいよ! ろこは?」
「……そりゃ、嬉しいよ。頑張ったし……」
「じゃ、いいじゃん! ってことはアイビーちゃんたちい、友達ってやつじゃない?!」
「……友達?」
「うん! お互い一緒に会えて嬉しいなら、それは友達って呼んでもいいんじゃないの〜? って、おもう! アイビーちゃんまだ人間一日目だから、合ってるかわかんないけど!」
「ふふ、あはは、そう……友達。友達、か……」
「あ、やだった?」
「ううん……嫌じゃ、ない。ただ、そんなこと言われたの……グロティスの私は、初めてだったから」

 あ、笑った。はじめて。ちょっとだけ。
なんもしなくても可愛い顔だけど、笑った顔の方が、ずっと良い。

「ねえろこ、暇なんでしょ? じゃあさ、ろこのこと話してよ。アイビーちゃんにはなんにもないけど、聞くことだったらいくらでもできちゃうよ〜!」
「……もしこれから私以外の人と会うことがあっても、今から話すことはみんなには言わないって、約束。してくれる?」
「二人だけの秘密ってやつ〜?! 楽しそ〜! するする! 約束するよ〜!」
「ほんとかなあ。ちょっと、というかだいぶ、口軽そうなんだけど……」
「だぁいじょおぶ! 友達、だからね!」
「ふうん……そっか」

 


――

 


「……気付けば、近くにあったこの死体に、寄生した」
「…………」

 全部話してしまった。
私が独りで抱え込んでいた、お姉ちゃんにも言えない、私の全部を。


 自分の言葉がきっかけで親を亡くし、自分だけが生き残ってしまった時の絶望。お姉ちゃんだって苦しいはずなのに、私の前では笑顔しか見せない時の無力感。事故の時のフラッシュバックで眠れない日々。そして、自死した時の心地良い眠気。
普通の人が聞けば重過ぎて引いてしまうような、もしくは厨二病を拗らせたのかと冷ややかな目を向けるような話を、彼女は普通の顔で聞いていた。同情するでもなく、「ふうん」とか「へえ〜」とか言いながら。そんな一見興味なさげな返事が、心地良かった。
 私の横で体育座りしていたアイビーが、こちらに視線を向ける。

「後悔してる?」
「え?」
「寄生して。……その身体と人格は病気だから、見たかった外も全然見れてないと思うけどさ」
「う……」

 この子、アホそうに見えて鋭いことを言う。私なんかよりも良い個体だから、頭の回転が早い。

「後悔、ね。どうだろう。よくわかんないな……」
「そうだよね〜〜、だって後悔しかしてなかったら、多分また死のうとするもんね? てかその前に、多分桜の下で目が覚めた瞬間別の手段で死のうとしない?」
「……はあ、うん。そうだね。多分、そうするはず。私がアイビーと、同種の虫だったなら」
「……ほ〜?」
「アイビーのは……うちの被検体であるセレネ君と同じなの。最新の寄生虫は「ルメニアα- 1」。今度会わせてあげる。ルメニア種は、寄生先の人格として生きるの。自分が寄生虫であるなんて微塵も、発想すら出ない。私が完璧にその人格になるルメニアだったなら、きっと今度こそ死んでる。……でもね、私はまだ研究の進んでない「グロティスβ-7」だから、こうして寄生虫としての人格が残ってる。言わば、不良品のガラクタ。私が初めて聞いた言葉も、私に対する研究員の罵倒だったよ」
「アイビーちゃんだって、自分は寄生虫だなってわかったよ?」
「アイビーが寄生してるのは元の人格が無い無機物だから。アイビーは、イレギュラー。さっき言ったセレネ君の寄生虫は死体に寄生したあと、「自分はセレネだ」という自認を完璧に持って寄生してるよ。多分本人も、一回自分は死んだはずなのになぜか生き返った、としか思ってない。まさか自分が寄生虫に成り代わられているなんて、思いもしない。それが普通」
「へえ〜、アイビーちゃんって特別なんだ!」
「そう」
「えへへえ〜、嬉しい!」
「……なら、良かった」

 哀れにもこの最悪な世界に産み落とされてしまった彼女は、明るい性格だった。能天気にも見えるその人格は、私にとっては不幸中の幸いであった。もし彼女が私みたいに卑屈でこの世に絶望していたら、二人一緒に死んでいたかもしれない。……いや、虫の私には、そんな勇気ないな。蔓歌ろこと違って。

「……ねえ、アイビー。私……私、辛かった」
「うん」
「ほんとはあの時、寄生しなきゃ良かったんじゃないかって、ずっと思ってる。あのままろこを死なせておけば。寄生虫の私も干からびていれば。けどね……お姉ちゃんが」
「うん」
「お姉ちゃんが……私のこと、ほんとに大好きでいてくれるんだ。嫌でも伝わるよ、あの愛情は。知りたくないと思っても、思い知らされる。もしかしたら、もう肉親が私しかいないせいもあるかもしれないけど。でも……お姉ちゃんを置いていかなくて良かったって、思っちゃうんだ。もうっ、……ろこは……いない、のに……ね……」
「……うん」
「ごめん、ごめんなさい……ほんとは、あの時に……ろこが死のうとあの桜の大樹に向かった時、彼女は全部振り切ったはずだったの……お姉ちゃんを一人にしてでも、もう私は死ぬんだって。っでも、お姉ちゃんが、……「私」が帰った時、おかえりって言ってくれて、笑ってくれて、抱きしめてくれて、虫の私にとって、それが初めてのぬくもりで、紛うことなき、愛で……それが、心地良いと思ってしまった……」

 アイビーの小さな身体にしがみつく。以前使っていた自分のジャージに顔を埋めて、濃い染みを作った。ああ私、泣いてるんだ。もうしばらく、涙なんて出なかったのに。

「私じゃなくて、ろこに向けられてる愛情なんだって、わかってる……けど……振り切ることなんて、できない……生前の、幸せだった記憶が、お姉ちゃんの笑顔が、こんなにも枷になるなんて、思わなかった……やっぱり私って、どこまでも考え無しだ……ずっとそう! 今日も、アイビーを生み出してしまった……!! 私ずっと、こんな世界にいられないって、死にたいって! 思ってるのに……! こんな世界に新しく、生んじゃって……! ごめん、ごめんね、アイビー、お姉ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 アイビーの胸の中で慟哭した。涙も言葉も止まらなかった。ずっと一人で堰き止めていたものだ。一度あふれたら、止まらなかった。
しばらく黙って聞いていたアイビーが、息を吸う音がした。口を開こうとしている。ああ、なんて言われるんだろう。突然こんなこと言って、困惑させてるはず。なんて、言われるか……。もう、今みたいに胸を貸してくれることは無いかもしれない。


 そう覚悟をしたのに、そんなものは簡単にへし折られた。ただぶら下がっていただけの彼女の両腕が私の背中に回される。私の顔が更にうずめられる。背中をぽんぽんと優しく叩かれる。……抱き締められていた。

「……アイビーちゃんは、怒ってないよ。ろこと話せてえ、嬉しいんだよ!」
「……なん、で……」
「アイビーちゃんは、ろこがやってくれなきゃただの虫のままだった。ずっとこう〜〜、顕微鏡で見られたり……薬剤かけられたりとかで、死んじゃうかもしれなかった。それを救ってくれて身体までくれたし、友達にもなってくれた! こんなに嬉しいこともう無いんだあ、アイビーちゃんにはさ!」
「…………」

 ああ、なんてこの子は、私に甘いんだろう。私が親だからだろうか。それとも、元々この性格なんだろうか。
じわりと、落ち着いていた涙がまたじわりと溢れ出す。わたしはなんて浅ましいんだろう。自分が身勝手に生み落としてしまった存在だけに自己開示をして泣いてすがるなんて。

 帰る頃、目が腫れていないといいな。

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